前作『プロメテウス』で懲りなかったの?と誰もが疑問を呈した続編です。
しかも、妙に格調高く、エイリアンよりもアンドロイドが話の軸へと移ってきています。これをどのように捉えましょうかね?
観客が観たいものとの乖離を強く感じる一作。
作品概要
原題:Alien: Covenant
2017年/アメリカ/122分
監督:リドリー・スコット
脚本:ジョン・ローガン/ダンテ・ハーパー
撮影:ダリウス・ウォルスキー
音楽:ジェド・カーゼル
出演:マイケル・ファスベンダー/キャサリン・ウォーターストン/ビリー・クラダップ/ダニー・マクブライド ほか
リドリー・スコット監督が自身の傑作SF「エイリアン」の前日譚を描いた「プロメテウス」の続編。新たな主人公となる女性ダニエルズを、「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」で注目されたキャサリン・ウォーターストンが演じ、「プロメテウス」でアンドロイドのデヴィッド役を演じたマイケル・ファスベンダーが続投。前作に続いてスコット監督がメガホンをとった。滅びゆく地球から脱出し、人類移住計画を託された宇宙船コヴェナント号には、カップルで構成された乗組員が搭乗していた。やがて人類の新たな楽園となるであろう未知の惑星にたどり着いたコヴェナント号だったが、そこには想像を絶する脅威が存在していた。その恐怖を目の当たりにした乗組員たちは、命からがら星からの脱出を試みるのだが……。
(映画.comより)
予告編
感想・考察(ネタバレなし)
格調の高さが裏目に
近年のリドリー・スコットの映画は無駄に格調高い。
もっと乱雑にいえば、偉そうだ。 特に前作『プロメテウス』と本作が顕著で、もうタイトルがあからさま。
プロメテウスとは、ギリシャ神話の中で人間に火を与えた神の名前。
コヴェナントとは、ユダヤ教における神と人間との間に取り交わされた契約・約束のこと。
いや、エイリアンの話だよ?何をそんなに偉ぶるか。 もともと一作目の「エイリアン」はB級になりかねない題材だったけど、それが『プロメテウス』では人類創生の謎に迫る壮大且つ神話的な話に飛躍していた。 いや、男根みたいな頭をしたお化けの話だってば!何を背伸びしてるんですか?
エイリアンの世界に神話的なモチーフを持ち込んで作品に深みをもたらすという意図は分かるけど、実際にはそれらの要素がチグハグで、効果的ではなかった。身の丈に合わない格調の高さは目指すべきでない。 「格調高いアピール」は本編の中でもゴリゴリ展開される。「わしゃ、西洋美術やクラシック音楽に教養があるもんでな」とばりにそれらの引用が多い。
アンドロイドがそれらに精通した「教養のある」感じなのは、スマホ見てばかりで本を読まなくなった現代人に対する皮肉というようにも見れるが、この流れではスコット自身の教養アピールに見えてしまう。
なぜ造った。
これはケネス・ブラナー版『フランケンシュタイン』(1994)のキャッチコピーです。
本作は『フランケンシュタイン』と同じく、創造主と作られた者の対峙を描いている。 本作に登場するアンドロイドは明らかにフランケンシュタインの怪物になぞって描かれている。人間や、エイリアンよりも重きを置かれて描かれていのがアンドロイドだった。恐らくスコットはエイリアンそのものに既に興味を持っていない。『プロメテウス』の時点でそんな印象もあったけど、本作はさすがにアンドロイドに熱を入れすぎてバランスが悪くなってしまった。
「なぜ造った」と言えば、本作ではエイリアンの起源についての謎が一応、明かされていたと思う。曖昧な言い方をするのは「なぜ」という動機の部分が理解できなかったからだ。それは謎と言うより、ただの説明不足な気もするのだけど。
結局は「なぜ造った」は本作そのものに対しても投げかけられる言葉だと思う。 基本的な話の構造は一作目と前作と同じだし、前作の反省が生かされてないのであれば、本作は作る意義があるか?と思ってしまう。 誰が本作の製作を望んだのかは分からないが、この内容では大義の無い映画と言われても仕方がない。やはりスコットの悪あがき、としか思えない。
(映画.comより)
巨匠、遂にボケる?
本作は基本的な部分で欠陥が多すぎて、観客にとっては付いて行きにくい不親切設計になっている。 物語上、前作との繋がりが強い割には、主要登場人物はほとんどリセットされている為、余計に複雑だ。
説明不足に、整合性の無さ、本作がもたらすのは「謎」ではなく、「欠陥による混乱」だと思う。「謎」に付き合うのは楽しいが、「混乱」に振り回されるのは無駄に思考力を削がれるだけだ。 物語の基本が整理されていない為、肝心のエイリアン誕生の謎に迫る体力が観る側には残らない。 あまりこういうことは言いたくないけど、御歳79歳のスコット、遂にボケた?
『プロメテウス』もかなりボケてたと思われる仕上がりだったが、今回も同様なのでそう思ってしまう。 恐らく周りの映画会社のお偉方も巨匠に対して気を使って何も言えないのではないか。スコットは裸の王様状態だ。 (そろそろ引退したら?)
エイリアンと言うよりも、アンドロイドのスピンオフ映画
本作の冒頭は目のアップで始まる。
これはその後すぐに登場するアンドロイドのデイヴィッドの目だと考えて間違いない。 これを映画のファーストショットに持ってきたということは、デイヴィッド(アンドロイド)が重要な位置づけであることを意味しているのかと。 でも、どっかで観たことあるよな… アンドロイドの目のアップで始まる映画と言えば…
「ブレード・ランナー」じゃん!! 実際にはブレランのファーストショットは闇の中から浮かび上がる退廃的なロサンゼルスの全景だけど、その次にこの目のアップが入る。 この目が誰のものであるかは不明だけど、どう考えてもレプリカント(アンドロイド)のバッティ(ルドガー・ハウアー)だ。
どちらの映画も人間に反逆するアンドロイドの目のアップから映画が始まる。 つまり、「コヴェナントはブレランと同じで、アンドロイドについての映画なんだよ」と開会宣言をしているようなものだ。 自らの最高傑作の露骨な自己パロディをするとは、さすが巨匠である(皮肉)。 加えて、その後のシーンが果たす役割も似ている。 ブレランはレプリカントと人間の面接シーン。コヴェナントはデイヴィッドと創造主の人間の面接。
どちらも、「主役」であるアンドロイドがどのようなものであるかについての描写だ。 という訳で、コヴェナントは「エイリアンを名乗りながらも、実はアンドロイド映画」という観客への隠しメッセージで幕を開ける。 ただ、この点を踏まえても、コヴェナントへの評価が上がる訳ではない。 だって、トンカツ定食を注文して、トンカツよりキャベツの分量が圧倒的に多かったらガッカリでしょ?
(画像は映画.comより引用)
僕の評価
2点/10点
本作は「御年79歳の大先生を労う会」のような意味合で企画されたとしか思えません。そりゃあ誰も監督に口出しできないわな。。。
どうでも雑感
・前作に比べて見せ場も乏しく(実際に予算が減ったらしい)、荘厳(っぽい)テーマの割にかなり地味な出来でしたな。
・これを作るんだったらニール・ブロムカンンプ監督による『エイリアン3・仕切り直し』の企画(頓挫)のほうがずっと良かったと思うんですが。
鑑賞方法
『エイリアン:コヴェナント』はU-NEXTで鑑賞できます。31日間無料トライアルなのでぜひ。
(2020年10月時点)
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